どーも、走るとり(@hashirutori00)です。
『君の膵臓を食べたい』という強烈タイトルで話題の、住野よる先生の最新作『よるのばけもの』を読みました。ジャケットの謎のクリーチャー感が完全に好みです。
内容紹介
夜になると、僕は化け物になる。寝ていても座っていても立っていても、それは深夜に突然やってくる。ある日、化け物になった僕は、忘れ物をとりに夜の学校へと忍びこんだ。誰もいない、と思っていた夜の教室。だけどそこには、なぜかクラスメイトの矢野さつきがいて――。ベストセラー『君の膵臓をたべたい』『また、同じ夢を見ていた』に続く、住野よる待望の最新作!!
テーマは「いじめ」
怪物がクラスメイトを喰らい尽くす!そこに突如現れた謎の女子高生!彼女が持つカタナ「斬魔刀」が夜の闇を切り裂く!
っていう物語ではありません。
テーマは「いじめ」。
この「いじめ」っていうのがまた、妙に生々し書かれており、学生時代を思い出させます。(住野よる先生は学生を描くのがうまい!)
嫌われているクラスメイトの私物を触った人を「汚い」と言ったり、浮いたクラスメイトと仲良くしている人を煙たがったり。
今でこそ「ほっとけよ、そんなの」と言えるのだけど、学生は特殊な時期だからみんながみんな、そう振る舞うことが出来てなかった。どこかしらにいじめっ子の気質があって、いじめられっ子の気質があった。いじめる側といじめられる側の差は紙一重で、浮かないようにと必死になる人もいたはずだ。
学校までの道のりは平地、一歩踏み込めば地雷源。この表現はとても適当だと思う。
学校という特殊な空間を生きる子どもたちは、いろんな姿をしている。
「ばけもの」は「化物」として描かれているけれど、見た目の禍々しさとは打って変わって、浮いているクラスメイト(矢野さつき)に対してとても親切で友好的だ。
しかし昼になるといじめる側に転じることになる。
夜の僕と昼の俺。
人間の姿と化け物の姿と、本当の自分はいったいどっちなのか。
どちらの側に立つのが正しいのか。
社会で生きるとは別に、学校で生き残るにはどうしたらいいのか。
学生が読んでも面白いと思うし、学生を終え社会人になった人たちにもおすすめできる一冊です。
いじめられっ子のリアルさ
矢野さんは嬉しそうに、たった一つのグループの名前を打ち明けた。まるで、昔からの秘密の友達を紹介するような、にんまりとは違う、高揚感で頬を染めるような笑い方をした。彼女のそんな顔は、初めて見た。
僕は驚いた。矢野さんがあげたグループは、決して秘密を打ち明けるように言うたぐいの人たちじゃなかった。きっと日本中のほとんどの人が知っていて、実際、僕だって小学生の頃から知っていた。仲間内でそのグループのことを真剣に話すには恥ずかしくなってしまうような、まだそんなのを聴いてるんだと笑われてしまうような。率直に言うと、ポピュラーすぎて、ベタすぎるグループの名前だった。
(中略)
なんだか、言えなかった。本当は僕も、いまだによくそのグループの曲を聴いているのに。
矢野さんは、僕にそのグループの魅力をひたすらに話してくれた。この曲のこの歌詞が、この部分が、メンバーのこの人が。僕はそれらのことを全部知っていた。
ワンピース好きやエグザイル好きをディスる感覚はおそらく世間一般的に広がっていると僕は思っています。
自分の好きな音楽や好物を人に言う勇気って、生活していく上で意外に必要です。それを言ったことで「えー○○さんって、あんなのが好きなの?」と思われたら、あぁもうお終いじゃん。って怖くて当たり障りのないものを上手に伝える術を、特に学生時代に会得しました。
『涼宮ハルヒの憂鬱』が流行ったとき、僕も例にもれず全話をチェックし、ラノベも全巻購入した。しかしその事実は口が裂けても周りには公言しなかった。「あいつはオタク」というレッテルを貼られることが怖かったからです。
しかし程なくすると周りで『涼宮ハルヒの憂鬱』を知らない人はいなくなりました。いや、厳密に言うと、みんな知っていたのに僕と同じように口には出していなかっただけだったのでした。
みんなが知っているのに、あえて言わずに逃げる行為。別に悪いことではない。でも時によってはそれが卑怯だとも捉えることもできます。
誰かに好かれていたいという気持ちが、気持ち悪いほど描かれていて、とてもリアルでした。
学校という名の戦場
下駄箱で運動靴を上靴に履き替えて、いよいよ、いつもと変わらない一週間がまた始まる。
別に、いつもと変わらないことを、俺は好きでいるわけじゃないし、特別に嫌いでいるわけじゃない。ただ、この特別に悪くない日常が、俺の毎日が壊れないように気を付けなければいけないというだけだ
本当は何も考える必要なんてない。自由な場所だの、大人になったらだお。
正しく毎日を生きる。交通事故にあわないように注意することよりも簡単だ。自分がするべきでない行動だけ、しないでおけばいい。
いつまで続くか、なんてここでは考えることじゃない。
守らなくちゃいけないのは、ここで普通に登校出来て、授業を受けられて、休み時間を得られる、自分の居場所だ。
僕は学生を終えてから数年が経ち、学校という場所がどんなだったのかも、記憶がうっすらとしてきました。
僕がいた中学・高校は特にガラの悪い生徒たちばかりというわけではなく、比較的(どこと比較したわけではないけれど)平和な学校だったと認識しています。
僕が誰かをいじめていたわけでもないし、僕がひどいいじめを受けたわけではない。からかいを受けたことはあるけれど、それはお互いが認めた範疇での行為だったし、それによって心に傷を負ったわけでは決してありませんでした。
だからこういった「いじめ」を題材にした本を読んでいると、今の学生たちはこんな世界で生きているのか、としみじみと考えさせられます。
場合によってはそれが事件に発展してしまうのは、ニュースを見ていてもよくわかります。
本当に生きづらそうだよ。
まとめ:どちら側の人間でいるか
学校では二種類の人間が存在しています。
いじめる側の人間といじめられる側の人間。
その二種類の人間を取り巻く、教室全体の雰囲気が本当にリアルに描かれていました。
主人公はどの側に立つべきなのか、人間とバケモノの姿の間で葛藤し、ラストシーンではその道を選択します。
いじめって何だろう、学校って何だろう、人って何だろう。
学生時代を思い出しながら読むことが出来ました。
とりあえず、いじめは大人になってから後悔するから絶対にやめておけ!!な!!
それではまた!