究極の掃除のプロはどの業者でしょうか。
ダスキン?
おそうじ本舗?
ベアーズ?
いえ、お坊さんです。
そうです。究極の掃除のプロとはお坊さんのことです。
僕は間違いなくお坊さんがダントツで掃除のプロであると考えます。なぜなら彼らは毎日掃除をしているプロ中のプロ。そうじ科学の発展が著しい昨今、雑巾掛けという、正直時代遅れの手法を用いながらも、自分らの住む寺の美を保つ術はまさに国宝物。彼らのいる寺の清潔さはさることながらその空気までが澄んでいます。
そのお坊さんが書いた最強の掃除本『お坊さんが教える心が整うそうじの本』を読みました。
これから大掃除の時期になりますが、ぜひモチベーションアップに読みたい一冊です。
内容紹介
玄関そうじって「たたき」を水拭きするって知っていましたか?
お手洗いではスリッパは脱ぐ(履いていたスリッパを入口で脱ぐ)って知っていましたか?(そのくらいお手洗いはきれいにするということ)お坊さんの世界では、そうじは修行のひとつ。言ってみればお坊さんはおそうじのプロと言えます。
本書はそんなお坊さんからそうじの作法を習える1冊。
汚れを取り去るのみならず、煩悩を掃き清め、執着をそぎ落とすようにすみずみまで丁寧にそうじをする時間はとても豊かな時間です。具体的なそうじのしかたから、そうじをすることでどのように心を整えていくのか、その手順についても詳しく紹介していきます。
毎日のそうじを続ければ、それはやがて心磨きにつながり、さらには自分の心だけでなく、周りの人の心も磨くことにつながります。
お坊さんにとってはそうじは「仕事」ではなく、「修行」なんです。なので決してお金のためにやっているわけではありません。心を磨くためにそうじをするんです。 そこが業者とお坊さんのボーダーライン。
著者について
松本/圭介
1979年北海道生まれ。浄土真宗本願寺派光明寺僧侶。蓮花寺佛教研究所研究員。米日財団リーダーシッププログラムDelegate。東京大学文学部哲学科卒業。超宗派仏教徒のウェブサイト『彼岸寺』を設立し、お寺の音楽会『誰そ彼』や、お寺カフェ『神谷町オープンテラス』を運営。ブルータス「真似のできない仕事術」、TokyoSource「東京発、未来を面白くするクリエイター、31人」に取り上げられるなど、仏教界のトップランナーとして注目される。2010年、南インドのIndian School of BusinessでMBA取得。東京光明寺に活動の拠点を置く。
ガチのお坊さんです。そして東大卒の超エリートお坊さん!
365日掃除をしよう!
掃除は朝一番でする。逆に寝る前は身の回りの片付けをする。
朝一で掃除をすることで快適に一日を過ごすことができます。
そして大切なのは毎日続けること。部屋の散らかりは心が乱れていることと同義です。毎日整理整頓された部屋で暮らすことこそ、まさに禅の極み。
各場所の掃除方法
空気の入れ換え
淀んだ空気ではいけない。部屋も汚いままだし、心もどこかどんよりしてしまいます。掃除という行為はある意味、自然とのコミュニケーションです。新鮮な空気を取り入れることで、部屋が活きてくるのです。さぁ、レッツコミュニケーション。
台所
禅道場での食事の役(食事をつくる役職)は典座(てんぞ)と呼ばれ、これは「悟りを求める深いこころを起こした人だけが、役にあてられてきた職」として、重要な役目を担っています。
典座の職は「純粋で雑念のない仏道修行そのもの」であることから、台所にはこころして立たなければなりません。
料理ができない僕は、なんの覚悟もなしに台所に立ち、カップラーメンのお湯を捨てたりとかしてました。そしてそうじは全て妻に任せっきりで…。反省します。
手洗い(トイレ)
われわれの世界では、手洗いはもっとも掃除に力を入れる場所のひとつです。
有名な話として、曹洞宗の修行道場では、言葉を発してはいけない三つの堂舎を三黙道場と言います。
三黙道場とは、僧堂(座禅・食事・睡眠を行う場所)・浴司(よくす 風呂)・東司(とうす 手洗い)の三つです。
この三黙道場に共通するものは「水」。
水はいのちの基本です。
そのいのちの基本が住まいの中で循環する場所が、「食堂」と「お風呂」と「手洗い」です。
そうじをする「メリット」をよく考えていましたが、「意味」まで考えたことはありませんでした。
何事にも意味があるんだなぁ。テンションあげるためにJ-POPを垂れ流しながらそうじをするのを僕はやめることにしました。
風呂
風呂は著者曰く、人間の本能が出やすい場所とのこと。
たしかに最近寒いからついついお風呂掃除って怠けてました。その怠けが壁の水垢に出てしまっています。
修繕
ものを大事にするお寺の暮らしは、ものを修繕して使うことが基本中の基本です。
そうなんですよねー。直して使っていけるものって結構あったりするんですよね。僕なんかはほんと飽き性なので、基本ダメになったらすぐに捨てたりします。シャツのボタンが取れたら「あ、寿命だな」と思ってポイっと。
ひとつのものを、そのもののいのちが有る限り、大切に、直しながら使う生活をしていくと、ものとの向き合いかたが変わるとともに、人への向き合いかたも変わってきます。そうして、こころも落ち着きを取り戻してゆくものです。
「ものは大切にしないとバチがあたる」。これも小さい頃から言われてきたことです。ものに溢れた生活を送っていますが、いったいどれだけのものを大切にできているだろうか。今一度見直したいところです。
洗面
道元禅師は「いまだ洗面せずは、もろもろのつとて、ともに無礼なり」とおっしゃっています。つまり、朝起きて洗顔をしなければ、何もかもが無礼になってしまうということです。
汚れているから洗面するのではありません。たとえ汚れていなくても、洗面をすることが大事なのです。
洗面をしないで、人と接してはいけません。
きちんと身体を清め、こころを浄めることが、人と会うときの最低限の礼儀です。
小さい頃、朝起きるとおばあちゃんに「ほれ、顔洗ってきなせ」と新潟弁でよく言われてたものです。ご飯食べたら洗顔するし、そのときでいいじゃんと思って、大人になるにつれ「朝一の洗顔」を次第にサボるようになりましたが、おばあちゃんの言っていることにはしっかりと意味があったようです。おばあちゃんごめんなさい。
まとめ:ものを持たないをしよう
究極を言ってしまえばものを持たない生活を送ればよりシンプルに生きることができますと本の最後には書かれています。あれもこれもとものに溢れた生活を送ってしまうと、心の落ち着きが得られません。
本当に必要なものを必要なだけ持ち、そしてそこにはどんな意味があるのか。あらためて考えてみると、意外な発見が見つかるかもしれません。
年末に向けて大掃除の時期がせまってます。そうじのモチベーションアップの一冊に推薦させていただきます。
それではまた!