以前参加した読書会で、喜多川泰先生をおすすめする人たちに出会いました。どれがおすすめの作品ですか?と聞いてみたら「全て」と言われたので、これから僕は先生の全作品を時間をかけて読んでいこうと思っています。
今回手に取った本は『「また、必ず会おう」と誰もが言った。』です。
心が熱くなる内容でした。
内容紹介
主人公・秋月和也は熊本県内の高校に通う17歳。ひょんなことからついてしまった小さなウソが原因で、単身、ディズニーランドへと行く羽目になる。ところが、不運が重なったことから最終便の飛行機に乗り遅れてしまう和也。所持金は3400円。「どうやって熊本まで帰ればいいんだ……」。途方に暮れる彼に「おい! 若者」と声をかけたのは、空港内の土産物売場で働く1人のおばさんだった――。人生を考え始めた高校生に大人たちが語りかける、あたりまえだけどキラリと光った珠玉の言葉。誰の人生にも起こりうる出来事から物語をつむぐ名手、ベストセラー作家の喜多川泰がお届けする感動の物語。
“この物語では、一人の若者が旅を通じていわゆる普通の人たちと出会い、その人たちの日常に触れながら、自分の日常を見直す機会を得ます。その中で彼は同時に「生きる力」についても学んでいきます。
思えば僕たちの人生も同じです。
予定通りに行かないことの連続。その中で起こる愛すべき人たちとの出会い、そして別れ。その繰り返しの中での気づき。
この本によって、積極的に人との出会いを求めて行動し、そして、生まれながら備わっている「生きる力」を磨こうとする人がひとりでも増えるきっかけになれば、著者としてこれ以上嬉しいことはありません。”(「あとがき」より)
喜多川先生の作品の特徴
喜多川先生の作品は、小説のように物語はあるのですが、どちらかというと自己啓発本に近いところがあります。『秘密結社Ladybirdと僕の6日間』という喜多川先生の作品を読んだことがありますが、そちらもそのような内容でした。
主人公は斜に構えた高校生という点。両作品に共通する点でもあります。
誰もが抱えている世の中への不満や自分自身への不満を解消してくれるような、そんな作品を物語調でうまく伝えてくれる作風だと思います。
トラックの兄ちゃんの熱い言葉
ヒッチハイクで東京から熊本に帰ることになった主人公ですが、その中でもトラックの兄ちゃんのセリフが印象的でした。
ディズニーランドに行ったことがあるという、しょうもないウソを事実にするために楽しくもない旅行をするはめになった主人公に、トラックの兄ちゃんはこう言いました。
「そうや。おまえ、自分のウソをチャラにするために、わざわざディズニーランドにまで行って、あんなところ一人で行っても何もおもしろないのに、写真だけ撮って帰ってどうすんねん。おまえは自分のことしか考えてないやないか。
それを見せる瞬間のことを考えてみいや。
おまえも、嬉しそうに出すわけでもない。それをお前に問いつめた友達のメンツはつぶす。見ている奴らは心の中で何を考えてるか想像してみろ。『あの後一人でディズニーランド行ったらしいで』って誰かにばらされたら最悪や。でも、その可能性は高いやろ。
誰も得せん。おまえも、問いつめた友達も、まわりで見ている奴らもみんなつまらん。
せやけど、お前がそれを笑いに変えてみぃ。そのへんの雑誌から切り抜いた何かと自分の顔写真なんかをノリでひっつけて、自作の怪しいかぶりもんしてるおまえの写真を堂々と見せたれよ。
損する奴が誰もおらんやないか。お前もオモロイ奴やってことになる。おまえを問いつめた友達のメンツをつぶさずすむ。まわりの友達も笑って終わりや。
おまえだけが助かろうと思うから、わけがわからんことになる。
ウソついたってかまん。でも、他の奴をやりこめたり、自分のメンツを保ったりするためだけにウソをつくような、かっこわるいことするな。
それよりみんなが笑えるようにするためにはどうしたらええか考えるべきやろ」
主人公がついたウソは本当に小さいことでした。その小さいウソを、自分のメンツを守るために起こした行動が、のちにどのような結末を生むのか、主人公は想像ができませんでした。
僕たちも普段の生活で、つい人に見栄を張ったりしてしまいがちです。自分を等身大以上に見せようとして、躍起になる人たちはネットでは腐るほど見てきました。見栄を張る大人ほどかわいそうな生き物はありません。
自分を偽ることなく、相手を笑顔にするにはどうしたらいいか?
それを考えることが人との良好なつながりを保つための秘訣といっていいのかもしれません。
他人の価値観で生きるな
「そうやって、他人のメガネをかけて世の中を見ている奴に限って、この世は生きにくいとか、苦労が多いとか、いいことがないとか、平気で口にする。ワシに言わせりゃ当たり前じゃ、そんなもん。いつまで他人のメガネで世の中をみてんねんって言いたい。
おまえも同じや。
何が幸せかなんて、誰かがどこかで言うたものとか、テレビとかの情報を頼りに決めるアホがどこにおる。そんなん全部他人のメガネじゃ。
そのままやと、おまえ、さっきみたいに世の中を見るだけでクラクラして気持ち悪うなる日がやってくるで。もっと、ちゃんと自分がやりたいこととか、自分にとって幸せとは何かを考えろ。
わけもわからず、他の人が幸せやと言うてるものを追い求めたり、他人が持ってるものを手に入れようとするんが人生やないで。
そんなくだらんことに人生を費やすためにおまえは生まれてきたんやない。
他人のメガネはほっとけ。
人が何と言おうと、自分がやりたいことは何かを真剣に考えろ。
他の誰でもない、おまえの人生やろ。わかるか、兄弟」
会社に行けば上司が、学校では先生が、僕たちに点数や評価を下します。その点数や評価で、あたかも人間の価値が決めつけられてしまうような、そんな錯覚の中を僕たちは生きていると思います。
人間の価値は決して他人が決めるものではありません。自分が、自分自身に評価を下すのです。
自分に自身を持つということは、他の誰でもない己が己を信じることです。
他人が自分の悪口を言ってようが、「お前はこうだ」と決めつけるようなことを言ってきたとしても、まったく気にする必要はありません。大切なのは自分がどう思うかなのです。
他人の評価ばかりを気にして生きていくのは本当にしんどいです。
特にサラリーマンはストレス社会を生き抜くために毎日が戦いの日々だと思います。
僕は仕事がどうしても辛く逃げ出したいと感じた時は、すぐに辞めてもいいと考えています。
自分に合わないことを長く続けていても、自分にとっても辛いし、また会社にとっても迷惑になるからです。
もちろん、そんな簡単に割り切れるものではないから、仕事って大変なのですが…。
まとめ
本書のあとがきにはこう書かれています。
成功したいと願う若者は「そのために何が必要か?」と問われれば、「もっと努力しなければならない」と自分に目を向けがちです。一方で、世間からすでに成功者と認められている人が「そうなるために何が必要だったか?と問われれば、例外なくこう答えるでしょう。
「私の成功は出会いによってもたらされました。出会った方々のおかげです」
つまり、幸せも、成功も人が運んでくるもの。
それだけじゃない。その人の持つ無限の可能性を開花させてくれるのも、それにふさわしい人との出会い。
人生は誰かと出会うかで決まるのです。
『「また、必ず会おう」と誰もが言った。』はタイトル通り、人との出会いの大切さを書いた作品でした。
出会う人たちはみんな厳しいことを言います。しかしそれは本質をついた優しい言葉でもあったのです。
自分の生きてきた中で、どれほどの人たちと出会い、どのような経験をし、何を感じたのか。
今一度思い出すいいきっかけになりました。
それではまた!