湊かなえ先生の作品が好きです。
これまで『リバース』や『少女』を読んできて、イヤミスにどっぷりはまってしまいました。
今回手に取ったのは『豆の上で眠る』という作品。
長いこと書店のランキング上位に置いてあるのを見て、つい魔が差したというか、普通に手に取って読みました。
最初に言ってしまうと、期待値を大きく下回ってしまった作品だと言えるでしょう。
『リバース』や『少女』のような大どんでん返しはなく、ただひたすらに事実だけを述べているような。平らな道をのんびりと歩いていくような、そんなイメージで読み進めていきました。
内容紹介
行方不明になった姉。真偽の境界線から、逃れられない妹――。あなたの「価値観」を激しく揺さぶる、究極の謎。私だけが、間違っているの? 13年前に起こった姉の失踪事件。大学生になった今でも、妹の心には「違和感」が残り続けていた。押さえつけても亀裂から溢れ出てくる記憶。そして、訊ねられない問い――戻ってきてくれて、とてもうれしい。だけど――ねえ、お姉ちゃん。あなたは本当に、本物の、万佑子ちゃんですか? 待望の長編、刊行!
「あらすじ」がもはやネタバレ
僕は本を読む前にあらすじはあまり読みません。
ただ、読み始めて中盤くらいで、「この部分はあらすじに含まれているのかな?」と思い、背表紙に書いてあるあらすじを読むことがあります。
『豆の上で眠る』もだいたい半分くらいまで読み終えた時点で、背表紙のあらすじに目を通しました。
だいたい本の半分くらいまで来るとあらすじ部分は通りすぎて、物語の核へと迫っていくのですが、この『豆の上で眠る』は、あらすじがほぼ物語の半分をネタバレしています。
あらすじ部分だけを紹介して(一応)ネタバレなしで説明すると、
ある日姉が誘拐されてしまう→2年後に姉は無事に戻ってくるがどうも様子がおかしい→もしかしてこの人偽物!?
という内容なのですが、ここまでがあらすじです。そして物語の中盤ぐらいまでを占めています。
物語中盤くらいまでは、正直ページをめくる手が遅く感じました。
しかしそれものちに来る「イヤミス」を味わうため。中盤までは所詮前置きにしかすぎないさ。
そう自分に言い聞かせて読み進めていくこと2時間ちょっと。
イヤミス、来ず
結局、最後の最後まで僕が期待していた「イヤミス」を味わうことができませんでした。
あれだけ期待していた『リバース』のときのような衝撃を、なぜ味わうことができなかったのか?
原因としてはまず帯文の紹介でほぼネタバレをしてしまっていたこと。
展開を知っている物語を読むことほど退屈なものはないなと感じました。
次の原因は書店のランキング上位にずっとい続けたこと。
これは書店員の責任でもあるとは思いますが、客側としてはランキング上位に本に関しては、それなりに期待して手に取るものです。
とくに湊かなえ先生の作品ということであればなおのこと、「これは絶対に面白いに違いない!」と胸を躍らせて読み進めます。
なので本の内容と期待値とが、まったく一致しなかったというところが原因だとも言えます。
少し前まではまっていた恩田陸先生の作品にもまったく同じ傾向が見えました。
『蜜蜂と遠雷』は直木賞に輝いた素晴らしい作品でした。音楽を描いた作品を読むことも今までなかったので新鮮でしたし、なにより素人にも伝わるような音楽の情熱を感じることができた作品でした。
しかし、その後に出版された『失われた地図』は正直???がいっぱいつく作品でした。
読者は置いてけぼりになり、まるで恩田陸ワールドを全開にしたような内容で、読んでいても捉えどころのないような、一言でいえば「つまらなかった」になるのですが、尊敬の念を込めて言えば「捉え方がわからなかった」と言えるでしょう。
まとめ
そんな感じで、実力のある小説家が書いた作品を連続して読むとき、前作が今作の感想を邪魔することもあるんだなあと、『豆の上で眠る』を読んで思いました。
ただ純粋にこれがもし、僕が人生で読む初めての湊かなえ作品だったらどういう感想を持ったか?
おそらく素直に「面白い」といった感想を述べていたでしょう。
作品の完成度は高いレベルだとは思いました。
ただいかんせん、こちら側の期待値が高すぎたこともこの作品を面白くなくさせた原因の一つだとも言えるでしょう。
これから手に取る本は、もっとまっさらの状態で読んであげようと、反省させられた作品となりました。
それではまた!